超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

文フリ京都の話

 先週日曜日、文学フリマ京都に出店しました。

 

 

 今日はそのときのことを書きます。

 

 

 文フリ出店は昨年11月の東京につづき二度目でした。ということもあって、前回よりはだいぶ落ち着いて過ごせたかなと思います。また友人にもお手伝いいただき、二人で店番できたのもかなり助かりました。

 来場者数は発表なかったけど、さすがに前回の東京の半分以下くらいの感覚だったかなあ。でも、たくさんの方が楽しんでくださってました。

 

 ところで店番というのはなにをしていればいいのだろう。

 立っている人もいれば、座っている人もいる。

 こんにちは~とか声をかけている人もいれば、そうじゃない人もいる。

 本読んでたり、どこか一点をにらんでたりとか、そういう人もいる。

 フリマなので別にどうであってもいいんだろうけど、やっぱり気になってしまう。

 

 僕たちはいちばんオーソドックスな形を取っていた。座って、近くに来ていただいた方には声をかけたり、本の説明をしたり、など。

 今回はPOPもちょっと趣向を変えて「ちいさな出版社をやっている」ということを強調したつくりにしていたので、その点を見たり、質問していただく方も多くいました。

 お客さまと会話ができるのは、どきどきだけどうれしいです。たとえ買っていただかなくても、興味を持ってもらい、本を手に取ってめくってもらう、それだけでも、この本たちと旅に出た意味があると感じます。

 そんな中で、一人のお客さま。

『未来の言葉』をぱらぱらとめくって試し読みしていただき、その後、どこかへ行かれました。さっきも書いたようにこれだけでもうれしかったんですけど、数十分後くらいでしょうか。もどってこられて。

「『未来の言葉』ください」

 と、言っていただきました。

 

 もちろん購入いただいたのはとてもうれしかった。

 でも実は、僕がいちばんうれしかったのは、「みらいのことば」と声に出してくださったことです。つい一年ちょっと前まで、本の形も成していなかった物語が、こうして世に出て、はじめて知ってくださった人がその存在を認めてくれている(?)状況そのものが、なんだか不思議で、そしてうれしい。

 なにげない瞬間だったけれど、この気持ちを忘れたくないなあと思いました。

 楽しんで読んでくれているでしょうか。そうだといいな。

 

 話をもどして、店番はどんな感じでやればいいのかについて。

 友人が言うところによると「なんか(店番が)スマホを見てるくらいのほうが、逆にブースを見てもらえる」とのこと。これはちょっと目から鱗でした。なるほど、かえって構えてないほうがお客さまとしては覗きやすいのかも?

 ということで僕もちょっと試してみたけれど、ぶっちゃけ、ちがいはわからなかった。どっちでも同じというか……(笑)たぶん、二人の雰囲気とか人相とかそういう要素もあるのかも。深くは考えまい。

 

 ただ、この思いがけない発見によって閃いたことがありました。もしかすると、そこまで気を張らなくていいのかも? 本でも読むくらいのほうが、実は自分に合ってるのかも? と。

 今ちょっとこの路線を、次の出店の際に突き詰めてみようと思っていて。詳しく話せるほどまとめきれてないですが、なんだか気が軽くなったようでもあります。よく考えてみれば、僕は本を売るという商売や営業をするのではなくて、ただ本と人をつなぐ、その役割を果たしたいだけなのでした。本と人が(潜在的に)望まれたとき、きっと幸せに出会うはずだというのは、先ほどの「みらいのことば、と声に出してもらった」話からも、たしかだと思ったのです。

 

 そんなことを考えていました。

 そのうち終了時間となり、なんだか今回はあっというまだったなぁ、なんて。

 たしかに得るものがあった、その充足のせいでしょうか。気のせいでなければいいけれど。

 

 付け足すみたいで申し訳ないけれど、京都はいい街です。落ち着いていて、流れ者の僕でも難なく受け入れてくれるふところの深さもあって。その愛ゆえにこのような冊子を用意したりもしました。

 

seishunsha.thebase.in

 

 こちらの執筆の旅も含め、この2か月で二度訪れた京都。二度目、京都タワーのそばを通ったとき、なぜか「おう」って小声で言ってしまいました(久しぶりだな、という意味)。

 

 また来たいなあ。

 

 楽しかったです。ありがとう京都。

 出店者のみなさまおつかれさまでした。来場者のみなさまありがとうございました。

 文フリ運営の方々ありがとうございました。

 協力いただいた方々ありがとうございました。

 

 こういうのをずっとやっていきたいです。