先週日曜日、文学フリマ京都に出店しました。
文フリ京都、世瞬舎は昨日出店し、無事終了しました。新たな方のもとへ、いくつかの本が旅立ちました。
— 神谷京介/世瞬舎 (@kkamiya_info) 2022年1月17日
文フリ運営様、協力してくださった方、出店者、参加者の方々、ありがとうございました。#文フリ京都 pic.twitter.com/aRt7z69jV8
今日はそのときのことを書きます。
文フリ出店は昨年11月の東京につづき二度目でした。ということもあって、前回よりはだいぶ落ち着いて過ごせたかなと思います。また友人にもお手伝いいただき、二人で店番できたのもかなり助かりました。
来場者数は発表なかったけど、さすがに前回の東京の半分以下くらいの感覚だったかなあ。でも、たくさんの方が楽しんでくださってました。
ところで店番というのはなにをしていればいいのだろう。
立っている人もいれば、座っている人もいる。
こんにちは~とか声をかけている人もいれば、そうじゃない人もいる。
本読んでたり、どこか一点をにらんでたりとか、そういう人もいる。
フリマなので別にどうであってもいいんだろうけど、やっぱり気になってしまう。
僕たちはいちばんオーソドックスな形を取っていた。座って、近くに来ていただいた方には声をかけたり、本の説明をしたり、など。
今回はPOPもちょっと趣向を変えて「ちいさな出版社をやっている」ということを強調したつくりにしていたので、その点を見たり、質問していただく方も多くいました。
お客さまと会話ができるのは、どきどきだけどうれしいです。たとえ買っていただかなくても、興味を持ってもらい、本を手に取ってめくってもらう、それだけでも、この本たちと旅に出た意味があると感じます。
そんな中で、一人のお客さま。
『未来の言葉』をぱらぱらとめくって試し読みしていただき、その後、どこかへ行かれました。さっきも書いたようにこれだけでもうれしかったんですけど、数十分後くらいでしょうか。もどってこられて。
「『未来の言葉』ください」
と、言っていただきました。
もちろん購入いただいたのはとてもうれしかった。
でも実は、僕がいちばんうれしかったのは、「みらいのことば」と声に出してくださったことです。つい一年ちょっと前まで、本の形も成していなかった物語が、こうして世に出て、はじめて知ってくださった人がその存在を認めてくれている(?)状況そのものが、なんだか不思議で、そしてうれしい。
なにげない瞬間だったけれど、この気持ちを忘れたくないなあと思いました。
楽しんで読んでくれているでしょうか。そうだといいな。
話をもどして、店番はどんな感じでやればいいのかについて。
友人が言うところによると「なんか(店番が)スマホを見てるくらいのほうが、逆にブースを見てもらえる」とのこと。これはちょっと目から鱗でした。なるほど、かえって構えてないほうがお客さまとしては覗きやすいのかも?
ということで僕もちょっと試してみたけれど、ぶっちゃけ、ちがいはわからなかった。どっちでも同じというか……(笑)たぶん、二人の雰囲気とか人相とかそういう要素もあるのかも。深くは考えまい。
ただ、この思いがけない発見によって閃いたことがありました。もしかすると、そこまで気を張らなくていいのかも? 本でも読むくらいのほうが、実は自分に合ってるのかも? と。
今ちょっとこの路線を、次の出店の際に突き詰めてみようと思っていて。詳しく話せるほどまとめきれてないですが、なんだか気が軽くなったようでもあります。よく考えてみれば、僕は本を売るという商売や営業をするのではなくて、ただ本と人をつなぐ、その役割を果たしたいだけなのでした。本と人が(潜在的に)望まれたとき、きっと幸せに出会うはずだというのは、先ほどの「みらいのことば、と声に出してもらった」話からも、たしかだと思ったのです。
そんなことを考えていました。
そのうち終了時間となり、なんだか今回はあっというまだったなぁ、なんて。
たしかに得るものがあった、その充足のせいでしょうか。気のせいでなければいいけれど。
付け足すみたいで申し訳ないけれど、京都はいい街です。落ち着いていて、流れ者の僕でも難なく受け入れてくれるふところの深さもあって。その愛ゆえにこのような冊子を用意したりもしました。
こちらの執筆の旅も含め、この2か月で二度訪れた京都。二度目、京都タワーのそばを通ったとき、なぜか「おう」って小声で言ってしまいました(久しぶりだな、という意味)。
また来たいなあ。
楽しかったです。ありがとう京都。
出店者のみなさまおつかれさまでした。来場者のみなさまありがとうございました。
文フリ運営の方々ありがとうございました。
協力いただいた方々ありがとうございました。
こういうのをずっとやっていきたいです。