超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

ここ1年ほどなにしてたんですか? 出版社ってうまくいってるんですか? 

 ここ1年ほど、なんだか似たような夢をよく見る。

 舞台設定はだいたい学生時代と会社員時代がごっちゃになってるような感じで、なぜかものすごく鬱屈とした気持ちになっている。だいたい遅刻寸前という状況で、なんとか遅刻しないようにタクシーをつかまえようとしたり(学生なのにw)、来たら来たで結局遅刻扱いになり、怒られて謝ったりする。夢の中の僕は「卒業式いつだっけなぁ……」といつもたしかめようとする。あと何日、この嫌な毎日がつづくのだろうと、そればかり思っている。

 みたいなところで目が覚め、あっ出勤しなきゃ、と思いつつ。

 あっ。

 ちがう、僕、もう会社員じゃないんだった、出勤しなくていいんだった。

 と、ようやく夢のうろこが落ちて、我に返る。

 

 こういうの書くと「会社員辞めて起業しよう」の一派みたいに思われるかもしれないけど、ちょっとちがくて、いつもこう世間に対して申し訳ない気持ちになる。当たり前のことを嫌とか言ってごめんなさい、まっとうな社会貢献できなくてすいません、と。

 いや、すごくいいんだけどね、自営業。

 定時も通勤も、嫌な上司も謎のしきたりもない。

 

 ここで、会社員時代~起業して現在まで、のことをふりかえってみます。

 上記の夢を今日も見たので、今日はそういう趣旨の記事を書こうと思いました。

 先に断っておくのですが。

 だいたいこういう身の上話が人に読まれるのって様式があります。

 すなわち、失敗→転機→成功という上昇のカタルシスを得られる体験ものにすべしということです。親近感のある成功体験を書きなさいよ、と。それが読み手の共感を得るのです。

 ここからの話は、たぶんそういうのじゃないです。これから起業を考えている方は、もっと有益な記事が世にたくさんあると思います。

 あくまでも個人的な、ここ1年ほどなにしてたの? に対する回答になります。

 

 会社員をつづけていた2020年7月、いわゆるうつ病と診断された。

 それ以前にも同様のことはあったのだけど、パワハラぎみの上司がいたとか、長時間労働してたとか、外から見てもまぁそうだよね、と言われそうなものではあった。

 けれど今回のうつ病で、なにより僕がショックだったのは、こんないい会社でうつ病になるって、どんだけ弱いんだよ(自分が)ということだった。残業もほぼないし、完全週休二日制だし……。まぁ、上司はちょっとあれだったけど、すごい嫌というほどでもなく。

 自分なりに当時を振り返ってみるに、テレワークが全国で実施されはじめたのが大きかったと思う。当時、コロナがはじめて流行して、世の中がすごく、あれだったころ。当社もいきなり、ノープランでテレワークになった。最初はパソコンも支給されなかったんで、もはや自宅待機みたいなものだった。このとき、都心まで毎朝2時間近くかけていた通勤がいきなりなくなった。8時間、他人の顔をうかがいながら仕事をすることもなくなった。

 これらは僕にとって、というか当時の人たちすべてだろうけど、かなりのカルチャーショックで。こういう働き方ってあるのか、と思った。そうすると、今までやってきたものが急に、見え方がちがってくるというか。もともと仕事は一人でこなしたいタイプだったので、すごいはかどったw 

 その後、一度目の緊急事態宣言が解除されると、世の中はなぜかこのテレワークをなかったことにして、出社の雰囲気が強まった。当社もこれに近かった。

 たぶん、この波に乗れなかったのだと思う。

 当たり前の会社勤めを再開したことで、あらためて僕には当たり前の会社勤めができない人間なのだと思い知らされた。で、気づけば病院に行き、診断書が書かれ、妻から上司に電話してもらった(すいませんw)

 こうして2020年7月から休職に入った。といってもいきなり休みに入ったので、しばらくは自分が抱えている案件をチャットで説明したりとか、取引先から電話がかかってきたりとか、だいぶ騒乱していた。もちろん残された同僚や上司はたまったもんじゃなかったと思う。

 

 いきなり日常に空白ができて、しばらく呆然としていた僕だけど、よく考えてみれば、やらなければならないことがあった。書きかけの小説を完成させることだった。

 というか、この小説が僕のここまでの動きを二転三転させたといっても過言ではない。僕の人生の優先順位はこのとき、彼が一番。8万字ほどの長編小説だった。

 

 夜、目をつむって、しばらく瞑想してから書く、なんてのをはじめてみた。

 僕の生活は騒乱しまくっていたので、それらから切り離さないと、この物語は書き終えられないと思った。

 そうすると、暗闇の中でだんだん、ちいさな光芒が見えてきた。

 生活、仕事、人生、家族……。それらの一切をいったん忘れて、この物語に身をささげようとすることで、にじんでくる光だった。そして、その脱我にも似た境地にいる自分こそが、たぶんなにも飾り気のない、等身大の僕だった。

 僕はやはり、小説を書いて生きていたいと思った。

 

 休職をはじめて1か月ほどで、小説はいったん完成となった。そしてこの小説は、原稿として完成させておわりではなかった。本にするという約束のもとではじまっていたのだった。この物語を自分の手で冊子にしたいという人がいて、その人と共同ではじめたものだった。ちょっとした冊子、みたいな流れが、いつしか本を出すことに変わり、僕はこの、だれが読むかもわからない作品の書籍化にそのときの人生をかけていた。

 作品のデザイン制作がはじまり、といっても二人きりではあったけれど、体調に気を遣いながら、でもほとんど一日かかりきりでやっていた。そうして本は形になり、2021年1月、発行に至った。

 このとき僕は、同人誌発行ではなく、個人で出版社を立ち上げて、その出版社から出す本、という形をとった。この物語を、ずっと先まで残して、だいじにとどけていくという約束のようなものだった。この約束の証として、世瞬舎という名前と、デザイナーから受け取ったロゴがあった。

 

 こういった活動をやっていき、周囲にもなにやら「なんか出版社を立ち上げたって言ってる人」みたいな認知をされつつあった中でも、これから先どうするかはまだ未定だった。週一回の通院、月一回の上司との面談。世間は待ってくれないことを実感する要素も十分にあった。家族とももちろん相談した。休職期間が明けたら時短勤務や自宅勤務に変えてもらって、今の仕事をつづける、といった選択肢もあったし、なにかがんばって資格を取り転職も視野に入れていた。実際、資格勉強に使った時期もあった。

 しかしどうあっても、小説家として生きていく、それが頭から離れなかった。

 ここで幸いなことに(?)、知らぬ間に休職期間満了となり、僕はあっさりもとの会社から放り出された。ちょっとびっくりした。いやいや、ちゃんと教えてくれよって思った。でも、さっき書いたように、選択肢が強制的に黒塗りされるのはちょっと幸いだった。

 

 本を出版して以降の2021年中も、そういった「これからどうする」のプレッシャーを自他共に受けつつも、いくつかの作品を出版社として出した。うまくいかないこともたくさんあったし、出版社といっても名乗る前まで素人だったわけだから、すべてが手探りの中だった。

 

 お金というものは、まじで厄介である。人の夢など簡単に壊してしまう。

 いろんな選択肢の中から、あと単純にそれで得られる報酬の中から、いろいろと考えた。でも結局、本をつくってきた今までの体験からいえば、非常に不器用な僕は、自分がいちばんやりたいことが十分にできていないと病んでしまうと思い知った。

 チャレンジとか夢とか、そういうなまやさしい言葉ではなく、僕には本づくりを通して到達したい場所がある。その場所は今よりはるかに遠く、それ以外のことをやっている時間はないのだった……ということに、社会人を10年やってようやく気がついた。

 であれば、目先のことはとにかく、ただクリアしていくしかない。お金は、ただの障害物として見ようと思った。

 

 2021年後半ごろから、いわゆる資金調達活動をはじめた。金融機関からの融資や、個人事業主向けの補助金など。当面は「本の売上」で見込めないのは当然だ。資本力がないのだから宣伝も増刷もできない。まずは元手を集めて、「お金がないからできない」という障害を突破しなければならなかった。この方面でももちろん素人なので、手探りで、ネットで調べたり銀行に訪問したり、いろいろやってみた。幸いなことに地元の信用金庫が拾ってくれて、開業資金融資を申し込んでみることになった。

 この際には、事業計画書や収支計画が必要となった。来た、お金の話である。ただここでくじけていては次のステップが踏めない。僕はほとんどそれにかかりきりで、数年先にこの本を何冊販売して、原価がいくらで、諸経費がこれとこれとこれがいつかかって、利子の返済がこれで、みたいなExcelをずらずら作成した。そうして見えてきたものがあった。この出版社がどういう場所で本を売りたいか、とどけたいか、ということもそうだった。この話は、前回の文フリ京都の話でも少し書いたけど、いちばん大切なことなので、のちほどまた書く。

 融資が希望金額全額おりたのは、なんか奇跡というか、まじかって感じでした。たぶん「またあやしい奴が来たな」くらいにしか思われてないと思ってたので当初は。担当者の方々には感謝が尽きません。実績も自己資金もなく、斜陽産業の出版をこれからなんの後ろ盾なくやろうとしてる。まぁ、よくがんばったなと自分をねぎらうことにします。補助金も同様に採択されました。こうして、なんとかあと一年くらいは事業継続できるだけの資金を得られたのでした。

 

 出版、という語は、英語でいうとPublishing、つまり公共のものにするということでもあります。本をつくること、そのものではなく、それを世に出すことが出版であるともいえます。

 いくつか過去にも書いたように、僕は「いちばん優れた物語は、だれにも読まれない物語」だと思っています。出版できたから偉いとか、たくさん売れたから優れている、人を感動させたからすごい、などとは思いません。「出版」イコール「紙の本を販売すること」であるとも思いません。 

 否定ばかりでまとまりないですが、唯一いえるのなら、その物語を世に出そうとする作業と、そのプロセスそのものが出版であると考えています。

 もう少しかみ砕いていえば、本をつくって、それがだれかにとどく、ということ。

 そして、それらどの場面も、そして特に「とどいた」場面、その瞬間に、僕は喜びを感じるし、生きていると感じたのです。僕も本も。

 

 こうした意味で、まだ出版に関する学の浅い僕がやるべきなのは、直接目に見える場所で本をとどける作業のような気がしています。文フリをはじめとした販売会ですね。それからもうちょっと踏み込んで考えていることもあります。世の中便利でして、わりと全国いろんな場所に出店できることが明らかになってきました。いろんな町のいろんな場所に行って、この本たちが人にとどく瞬間を見届けたいです。

 

 2021年11月と2022年1月は文学フリマに出店し、特に上記のようなことを考えました。

 本末転倒にはしたくないぞ(売れる売れないではなくて、小説を書きつづけたいからはじめたんだ)という気負いがだんだん、この1年、そして特にここ最近でゆっくりほぐれていき、あ、それはできるな、と思いはじめてきました。

 もちろんお金という障害はものすごい高い壁としてあります。真剣に野草の料理法とか調べたりもしてますw 忘れてはいけないのは、僕が志す文学や芸術は、人が最初に起した「生物として生きる」以外の行為です。社会やお金といったものより先かもしれません。だから、あんまり(あくまでも僕の中で)お金や名声にデカい顔をさせてはならないのです。

 

 ということで、ここまで、どうにか生きてこれた。

 これから先どうなるかはほんとうにわからない。また病んでしまうかもしれないです。ただ、これは最後になってしまい恐縮なのですが、協力してくださる方々がいくつかいました。みんな小説や創作が好きで、僕(みたいなどうしようもないの)の考えをよく聞いてくださいます。ときには叱ってもくれます。こういった、内外に何人もの人が行き来する景色は、実は立派な社会なのでは? 僕は、こうして「仕事」をしているのでは? という気にもなってきます。

 仕事、というとお金を稼ぐことそのものと捉えられがちですが、社会と接する、と定義すれば、僕は今までこの1,2年、立派に仕事をしていたようにも感じます。なので最近はためらいなく、「仕事をしています」と言うようになりました。お金は稼げてないけどな。

 

 本と向き合いつづけている日々は、僕にとって、とても幸福です。もちろん大変で不安定な面もたくさんあるけれど、ぜんぜん辞めたくなくて。

 この先、もっと景色が拓ければいいです。そうなるように毎日、一歩ずつ進んできたし、これからもそうありたいです。

 

 よし、Twitter辞める再開する問題につづき、ようやく過去を清算できたぞ(笑)

 今後は、いろいろ楽しげにやっていることをリアルタイムでお見せできればいいです。