超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

反映

 ハロウィンが終わった直後、11月1日あたりからのこのスピード感というか、節操なさには毎年うろたえてしまいます。クリスマス、正月、バレンタインと、さながら、昔の正月特番でよく見た高速餅つき達人の人みたいです。どうやら今年はそれにサッカーも加わったようでもあります。

 

 ところで私は「なんでもない話」をするのが得意で、今日はそれをしてみます。ふりでもなんでもなく、まさになんでもない話です。

 なにか感動をおぼえるでもなく、教訓めいたメッセージがあるわけでもなく、笑えもしない。私は案外、こういう話をするのが得意なのだと最近気がつきました。

 これを特技にまで昇華させるべく、今日はがんばって文章に起こしてみます。

 

 ◆

 

 私は昔、とある地方都市の繁華街にある百貨店で勤務していました。いわゆるビルメンテナンス業と呼ばれる、作業服を着て、機械設備の点検や整備、軽作業をする仕事です。

 テナント(その百貨店に出店しているお店のこと)には若者向けのアパレルショップが多いです。それらの店舗での作業もときにはありますので、店員さん(ショップスタッフと呼びます)と会話することもありました。

 私は高校卒業後、18才からこの業界に飛び込んだのですが、それでも店員さんは20代あるいは30代の方が多く、まだ私のほうが年下ということばかりでした。

 

 平たくいえばビルメンテナンスというのは裏方の仕事です。華やかさは皆無ですし、場合によってはお客様からも店員さんからも歩いているだけで嫌な顔をされる(こともあります)ます。

 飲食店で排水が詰まったことがあります。その際私たちはトーラー(関西圏ではカンツールともいいます)という機械を使って排水管を掃除するのですが、はじめてその現場に行った時、あまりの臭気と光景に吐きそうになりました。

 お店の天井から水漏れがあったときは、天上裏に上って作業したりもしました。仮に落ちてもまあ3メートル下くらいですが、逆に落ちたら死ぬとこで作業したこともありました。

 また、電気や防災を扱う仕事なのでいろんな事故の話をよく聞きました。特高電気室という部屋がB2Fにあり、そこから館内の電気を供給しています。家庭で使われる電気の電圧が100Vとかですが、その部屋は6万6000Vを受電していて、そのような場所を毎日巡回点検していました。

 私はどこか抜けているところがあり、先輩社員には「お前はいつか事故を起こす」と言われました。実際そうならないうちに退職できてよかったです。

 

 ちょっとしんどかったのが、少なくとも私の時代はですが。まずマイナスからスタートする仕事だということです。

 たとえば天井から水漏れがあったとして、まずクレームを受けるところからはじまります。ここはあなたたちが管理している部分でしょうが、というわけです。修理作業をしているあいだは場合によってはお店の営業が止まるわけですから、必死でやっていることには関係なく、早くしてください、いつ直るんですか、営業補償してくれるんですか、と声を荒げられることもありました。

 もちろん、そうでない方もとても多かったです。人として認識されていないのは、職種のせいなのか私に問題があるのか、などと考えることもよくありました。

 

 11月を過ぎるとクリスマスソングが街で流れ始めますね。

 館内のBGMをそれ専用のカセット(いやもう当時既にCDだったかな、忘れましたが)に入れ直したりするのも仕事でした。ですので私にとってそれらの曲は、勤務時間中にずっと聴いていたBGMという認識しかほぼないです。

 携帯電話コール恐怖症みたいな時期もあったのですが、それと同じ理屈です。

 今はさすがにもう大丈夫かもしれませんが、あまり落ち着くような音楽ではありませんでした。

 

 百貨店はもちろん土日祝ふくめ日中ずっと開店しているので、店内でのメンテナンス作業はだいたい21時以降になります。私の場合は日勤シフトと夜勤シフト、通し(9:00~23:00)、宿直シフトなどがありました。

 店内のエアコンのフィルター交換作業も、夜、というかだいたい深夜行うことになります。

 照明が消えて人がだれもいない館内(店内)は独特の雰囲気で、今でも思い出されます。親くらい年の離れた先輩社員と二人で作業をしていきます。後輩の自分が脚立を持ちます。閉店後も館内BGMはまだ流れています。ほとんど静寂の中、それと私たちの足音や脚立を開く音だけが響きます。

 

 繁華街の真ん中でしたので、外は夜が最もにぎわいます。きらびやかなネオンの光が、真っ暗なはずのここまで差し込んだり、当時の私と同世代の若い人たち(大学生くらいでしょうか?)が飲み歩く声などが聴こえます。

 いつも聴いていた彼らの声は、私にとってうらやましくもあり、だけどどこかちがう、おそらくそうはなれないだろうな、とも思わせる不思議さがありました。

 

 もしも私がこの仕事をしていなかったら、もしも私が大学に行けていたら、もしも私に友人がいたら。

 

 などと考えるうち、ふとそこに、べつの世界線から来た自分がいるかのようにも思えました。たぶん、私にとっての彼らも、向こうにとっての私も、どこか同じなのかもしれないと。

 なにが同じかと問われれば答えに困ってしまいますが、どこか同じ、そんな気がしたのです。

 

 滞りなく作業を終え、たばこは吸えないけれど先輩と一緒にたばこ休憩の場にいて、説教を受けたり武勇伝を聞かされたりして、午前1時過ぎくらいに歩いて帰って、途中松屋に寄り、遅くなった晩ごはんを食べます。

 10代のおわりから20代の大半は、そのようなものでした。

 そして25日が終わると、館内BGMを通常に切り替えたり、正月のイベントに向けての作業をしたりと、また仕事があわただしくなります。ついでにいうと、元旦が出勤日だった社員は5,000円くらい手当がついたような記憶です。

 

 ◆

 

 さて、これで終わりになるのですが(毎年、なにこれ)。

 今一度説明しますと「なんでもない話」なので、特に伝えたいことも教訓めいたこともないかもしれません。私の少ない思い出話の中から引っ張り出してきました。

 

 どんな場所にいたとしても「あの日はこうしていた」と思い出せるのが、クリスマスという特別な日のとてもいいところです。だれかの幸福も、そうでない瞬間も、一年中いくらともなく繰り返されているはずです。

 今年のクリスマスは、家族でゆっくりと過ごしたいです。

 

 

 

 百瀬七海さんのこちらの企画で、本日12月9日を担当いたしました!

note.com

 

 また今年もクリスマスっぽくなかったと反省しつつ、ほかの担当日の方のnoteを読んでおおいに楽しみたいと思います🎄

 メリークリスマス!🎄

 ありがとうございました!

 

 

 

 

(アドカレで知ってくださった方に自己紹介)

 神谷京介と申します。ふだんは、ちいさな出版社「世瞬舎」を運営しています。

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1991年生まれの自称17才。小説も書きます。よろしくお願いします('ω')