超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

小説の本の表紙の文字がおおきい理由がわかった件

 書店で本を見て回ってきた。

 いつも気になるというか興味深いのは、それぞれのジャンルの本の表紙だ。

 ネガティブな意味で気になるのは、文芸書籍のコーナーで、これは昔からずっと思っていた。

 その違和感を払拭するのもあり、『未来の言葉』はあのような、簡素なデザインになったのだけど、もちろんものには理由がある。僕などのような素人よりはるかに頭を使って、商業誌はつくられている。

 

 70年代ごろまで、書店といえば商店街のちいさな地元書店が主だったようだ。それがいつしか、車社会、ニュータウン化の到来とともに、いろんな産業で郊外店の需要が高まり、郊外型大型書店が建ちはじめた。その後しばらく、書店は大型化(総売り場面積の拡大)の一途をたどり、ちいさな地元の書店は数多く廃業した。

 おおきな書店になれば、当然ながら本棚の数も、本の点数も多くなる。平置きされている本だけでも何百といった数になるはずだ。その中で、いかにお客様が手に取るかという工夫が、装丁には込められているのだと思う。

 

 たとえば、芸能人のエッセイ本などは、その芸能人の顔写真があればひとめで「この人の本だ」とわかる。実用書であれば、インパクトのあるタイトルの単語や、イラストや写真でそれとわかる(例:バナナの絵が描かれているバナナダイエットの本)。画集であれば、その人の代表作がそのまま表紙になっているのだから、タイトルなどはごく控えめな主張でもわかる。

 といった傾向を、今日、書店に行ってたしかめた。

 

 小説の本に関しては、もうなんとなくわかるかと思うけれど、「タイトル」と「作者名」。これがわからないことには、手に取りようがない、そういった事情があるのだろう。

 また、芥川賞を受賞したりした日には、でかでかとした「受賞作です」の帯が巻かれたりする。せっかく素晴らしいデザイン性の装丁が、その、72ptくらいあるんじゃないかという「受賞作」の文字に飲み込まれている姿は、ちょっと、ぞっとした。

 

 これらは「大型書店の数多い商品の中から選んでもらう」という購入方法に最適化された、進化の形のようなものなのかもしれない。

 

 本とは、それがすべてなのだろうか?

 などということを考えていた。