2020年8月に開設した世瞬舎は、当初”ひとり出版社”と名乗っていた。
※周到にもバックアップを取っていた当時の記事。
これはもちろん、社員は僕一人だけなので、という零細出版社をはじめますよ、という意図であった。
とりわけ、僕は集団行動が苦手である。本意に沿わない作業を強制されるときものすごいストレスを感じる。器用な人であればそういった憂いもうまく文章にして昇華できるのかもしれないが、なかなかそう、うまくない。
伊藤整の『小説の方法』と続編『小説の認識』では、明治~昭和期の作家たちを緻密にタイプ分けしている。その中で、日本の文壇特有の問題についても切り込んでいたりする。僕はここでいうところの「遁走型」なのだろうかと、ふと考え込んでしまった。だけど、どうも世瞬舎という場は、僕に社会との接点を、ふたたびつくってもらえているような気もする。それが今のところ、綱渡り的な極限のバランスを保って、なんとか生きている。
話をもどすと、よくよく考えてみれば最初からひとりではなかった。
ロゴをデザインしてくれた方がいたから世瞬舎ははじまったし、『未来の言葉』では書籍をデザインしていくという過程で、デザイナーや印刷会社と関わった。うちの本は、けしてひとりで生まれたのではなかった。がしかし、小説という作家の中だけにある小宇宙は守られるべきで、実はたくさんの人が僕の作品を守ってくれていたのだともいえる。
商売においてなにを最重要視するべきかといえば、もちろん顧客であり消費者なのだが、うちはどうだろうか。
読み手も含め、すべての人がこの「本」を守るように動く出版社、というのがあってもいいような気がしないでもない。
幸運なことに、いろいろと勝手なことばかりやっているのに、ほとんどの人は「神谷さんのやりたいように」をベースに考えてくれる。アイディアをいただいたり、これは成り立たないよ、とか、懸念点がある、とかは伝えてくれるけれど、やりたいこと、の本筋は僕が握れるようにしてくれている。大変ありがたいことだと思う。
ここに小社会があり、たくさんの協力のもと、ひとつの本が守られようとしているので、そういう意味も込めて、だいぶ前から ”ひとり出版社”⇒”ちいさな出版社”に変えている。
孤独無縁で構わないとはじめたものが、徐々に人の輪をつないでいくのは、不思議であり、きっと僕自身が望んでいたものであると思う。