超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

Twitterを辞めた理由、再開した理由

 どちらかというと、以前から僕を知ってくださっている方向けです。

 

 昨年8月でしょうか。いや、うろ覚えなので5月とか9月かもしれませんが、2年ほどつづけていたTwitterの運用を停止しました。また、その数か月前には、小説や活動報告などを上げていたnoteを停止し、オンラインでの発信がほぼほぼ絶滅してしまいました。

 

 ですが、昨日突如としてTwitter復帰。

 

 

 このような条件を自分に課しました。

 

 勘のいい方、もしくはツイ廃の方ならこの書きぶりからなにやら懸念点が見えてくると思います。

 

まずnoteを辞めた理由

 順を追って説明する必要があるので、まずこれについてちょっと話してみる。

 2020年後半~2021年前半ごろ、noteは全体的にちょっと、いやかなり荒れていた。なんか炎上とかいっぱいあった。簡単にいうとそれが理由なのだが、うーん直接というわけではない。

 単純に、うっとおしかったといえばいいのだろうか。自分の中の原風景が汚されたというか。ってまた抽象的な書き方になってきた。

 2019年ごろにはじめたnoteは、もともとWEB上では何者でもなかった自分が、世間に向けて小説作品を発表する場として使いはじめました。当時はまだ自分の出版社(世瞬舎)は構想すらなかったし、ただ小説を書いて出すことをしたかったのね。そのうち、noteにはとてもいい作品と作者がたくさんいることがわかってきた。商業作品として優れているという意味でもなく、なんていうんでしょうか。 

 僕はこれまで、僕のように、外面ではいい顔をしながら内面でものすごく悲しんでいたり葛藤したりしている人が、同じようにこの世にいるってのを知らなかったので。そういう、だれかの日常が創作と結ばれている場が、この世にあったのだと、そんな気持ちでした。こう書くと思い出すのが、『noteって修学旅行の夜の布団みたいだ』というある方のコラムで、そんな感じの、ごく小規模な、でも世界と紐づいている場があると、そこで交流を深めていけた人たちもいたし、イベントに参加したり、すごく楽しい思いをさせてもらいました。このときの経験が、今の出版社の活動につながっているのは自分の中でまぎれもない事実。

 と、ここまでが良い話で。シンプルがゆえに懐の深かったnoteは、なんか知らんうちに、それこそいちユーザーとしてのほほんと構えているうちにだいぶこう、気色ばんでいき、noteはいつしか魔窟みたいになっていきました(自分の中で、すいません言い方w)。

 コンテスト、炎上、コンプライアンス、プロとは論、マネタイズ、小競り合い、ユーザー間の人気のあるなし、発信力、うんたらかんたら……。

 知らん間に、フォロワーの最新記事だけが並ぶ自分だけの小世界のようだったnoteのトップページは、なんか近所のスーパーのチラシみたいになってました。

 つまり「自分たちの小世界」は「世界(世間)」だよ。お前たちは幻想を見ていたんだよ、と、夢を見せる側のプラットフォームから言われたような気持だったんですね。てか、なんで客が説教されなあかんねんw

 僕の書き方も直截的でたいがいですが、noteの変わりようと気色ばみ感もたいがいだと思います。夢を見せようとがんばっていた人たちが、なんか急に現実を見せだした、現実の、よくあるサクセスストーリー(しかも商業デビューとか、自分の作品がドラマ化されるとか、個人的にはまったく興味ないのに)に乗せようとしてきた。

 っていう感じでしょうか。そうこうしているうちに炎上などもあって、noteの悪い面というか、そのことについてなにかいちユーザーの僕が一家言申さなきゃいけないのか?wみたいな雰囲気をひしひしと感じて。自分はその一派と思われているのか? みたいな。ほかのユーザーもすごい興味ありげに、ワイドショー見る人みたいになってるし。

 こっちは人生かけて小説書いてるし、忙しいんだけどなw みたいな気分でした。

 いや、ちょっと悪酔いしすぎて悪い書き方にはなってきました。まったく興味なかったわけではなく、この殺伐とした世で創作はどうなっていくのか、みたいなのはずっと考えていました。でも、基本忙しいので、なんかそれにかまってる暇はなかった。

 ということで、この魔窟から去り、自分のやるべきことに集中するためnoteを退会したのでした。

 書き方悪すぎるのですが、退会する直前まではnoteさんと手を取り合って、よくしていきたいなと思っていました。きっとnoteさんも、夢と現実の中でもがいているのだろうなと。それくらいはさすがに僕だってわかりました。でも、ちょっと限界だったかなぁ。

 

Twitterを辞めた理由

 note辞めてからも数か月はTwitterやってたのかな。今度はこちらの魔窟具合に耐え切れなくなってきました。ほんと体力ないなと自分でも思います。勝手にワイドショーを見せられている感覚というのでしょうか。ここは半知性主義とかポピュリズムの魔窟だなみたいなw そして自分もその一派と見られているのか? みたいな。

 なんかnoteと似たような感想になってきましたが、Twitterはもともとそういう、箱だけ置くみたいな(ほんとはがっつり規制されてるのは承知だけど、あくまでもイメージとして)、感じですよね。なので、辞めるときもあっさりでしたが。

 でも、これで、まじで僕の存在が視界から消える人もいるのだと思うと、悲しかったのはあったなぁ。まぁ、それも幻想なのだが。

 

Twitterを再開した理由

 と、オンラインでの発信手段を制限していたここ数か月、よかったことはすごくよかったです。静かな場所で、出版について、本について、小説について、考えを深めることができました。ほんの一か月前とは別人なくらいに知識や経験を得ている自分もいたし、それが果たしてTwitterとnoteを辞めたおかげであるかというと、そうではないけど、その補助にはなったかなと。

 一方で、さすがにつぶやきくらいはさせてくれよw みたいな気持ちになるときは多々ありました。いかに筆不精とはいえ。あと単純に、今取り組んでいる文フリとかもTwitterと紐づいてるし、不便すぎるやろと思ったりもしました。

 あと、もうちょっと自分とか出版社のことをちゃんと、みなさんに伝えなさいよ、とマネージャーに叱られたのもあります。いつも私に話してくれているような、出版と消費社会の話とか、本と人との出会いをつなぎたいという話とか、ぜんぶ世瞬舎の理念につながっているので、それは日々少しずつ伝えなさいよ、と。

 そのとおりだと思いますw

 筆不精でほんとうにすみません。

 

 僕はほんとうに現世から逃れたいというか、この「これ(世間とネット社会)」にフラストレーションがたまるんですよね。

 この文章だって、ほんとうは書きたくないですw

 これ書くくらいなら小説を書き進めたいです。

 などと言う無精者なので、そこは勘弁してもらいつつ、少しずつこの社会との接点も設けなければならないというか、接していたいと思っているので、ほんとうは書きたくないけど、書いて伝えたいから書いています。

 

 これからこのブログでは、作家としての僕がふと思うこととか、出版社の活動を通して見えてきた世界とかを、気ままに、個人的な思いとして、書いていこうと考えています。世瞬舎の活動内容の発信というよりも、その裏にある思いというのかな。こんなことを日々考えていますというのを、伝えていけるといいです。

 

 今回のような悪口と釈明みたいな記事はたぶん最初で最後です。

 

 みなさま、あらためましてよろしくお願いいたします。