超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

私たちの仕事について

 ところで『世瞬 Vol.4』の次あたりに出せるかもしれない2作目の著作は、生命をテーマにした作品となります。これは『未来の言葉』で少し語った歴史軸にもつながっていて、永遠と瞬間のうち、瞬間にあたる物語かもしれません。

 

 ここ数年、生と死の現場に立ち会うことはまれにありました。無論人の死もですが、ひとつとても印象に残っている体験は、虫についてです。

 私の虫好きはこのブログを見ていただけるとより楽しめるかと思います。とりわけ、鱗翅目と呼ばれるチョウ・ガは、卵からイモムシや毛虫が生まれ、それが徐々に巨大になり、ついにはさなぎになり、十数日あるいは冬を越すほどの眠りについたのち、美しい翅をもつ姿に「再度、生まれる」のですから、この感動は表現しがたいものがあります。

 いっぽう、彼らのだれもがチョウやガになれるのかというとそうではなく、とある論文では、一羽の蝶から産卵された百個近くの卵のうち、無事羽化する確率は1,2個(1,2体)だそうです。それもそのはずで、百個のうち百個がすべてチョウになったら、この街はチョウだらけになってしまいます。自然の淘汰として、たとえば風雨にされされて卵が流されたり、無事幼虫に孵化しても天敵の虫や鳥に食べられたり、またここでは長くなるので割愛するのですが寄生バチ、寄生バエといった捕食寄生者が大半の幼虫に寄生しています。つまり羽化はかなり奇跡の産物といえます。

 

 これをどう捉えるかはさまざまな見方ができると思います。成功者は一握り、みたいな「生活人の認識」として捉えるのはもっともスマートでない行為で、そういうのはTwitterで十分です。人は人、虫は虫なのです。虫は人とはちがう倫理観で生命をまっとうしていて、それに私は畏敬の念をおぼえます。

 私の感覚になるのですが、虫は群体だと思っています。つまり、百個の卵でひとつの意思を持った生命体という捉え方です。そう捉えれば、たとえ鳥に食べられる個体がいようと、寄生虫にむしばまれた個体がいようと、最終目的、それは羽化とさらにその後の交尾と産卵になるのですが、にどれかの個体が到達すればよいということです。途上で死んだ個体は、すすんで自らの身体を差し出している、とでもいえばよいでしょうか。

 

 人は群体ではないと「されています」。私たち生活人の認識では、私は人権を保有したひとつの人格であり、ゆるぎない自分の人生を歩む個体とされる場合が多いです。そのような思考に石をなげかけてくれる存在として、私はここ1,2年ほど虫を観察してきました。

 

 私たちは仕事についても個体という認識を、とりわけ若い世代ほど持っているのかもしれません。

 ショーペンハウアーは「この世には二種類の作家がいる」と唱えました(うろ覚えですが)。ひとつは自分の思索を表現するためにものを書く作家。もうひとつは作家であるためにものを書く作家。後者には無論、名声や地位、金銭といったものが第一の目的としてあります。現代を見渡すと、前者に出会うことはごく稀ですし、後者として生きていくためのライフハックなるもので汚染されています。

 その数少ない出会いを大切にしたいです。

 

 言葉には正解がありません。しかし言葉はだれしもが用い、表現することができます。非常に厳格な、人類が勝手に定めた規律でありながら、なにか途方もないほどの自由があるようにすら思えます。この世は言語を中心に回っていて、それがなくなるときはまだ先のように思えます。映像や絵画といったメディアにも言葉はその裏に隠れています。

 そして言葉の未来は、常に現在生きている人々が担っています。ギャル流行語なるもののほうが、私はその辺の本屋におろされる新作書籍よりよほど文学だと思います。

 

 私たちが担っている。そしてその最先端にいて、私の指先に世界がかかっている。 そう思えるほどでないと、よい仕事をしようという気持ちにはなれません。

 

 私は個体かもしれない、という思いは常に苦痛をはらみます。お金がないとか人が集まらないとか、お金がなくてビッグカツしか買えないとかそういう経験は、できれば避けたいものです。しかし裏をかえせば、そうした経験も、人類というこの途方もない群体の一部、私は鳥に食われる役だということかもしれません。

 現代人、私にも個体であるという厄介な意識があるので、それに耐えられるかは今後の修行にかかっています。しかし座禅を組んだりするほどの覚悟もなく、結局は小説家にしかなれません。その上、羽化のほうに回りたいとすら思います。つくづく人間は愚かです。

 群体として最大限よい仕事をしたい、個体として苦痛を伴わず生きたい。そのふたつでうろうろしているさまは滑稽であり、まさに一個まえのコラムに書いたような「秩序に対する生命の抵抗」がなされているようすでしょうか。

 

 結局、よい小説を生むことが出来ればすべてが吹き飛ぶのです。

 この単純な性格に感謝をしつつ、また自分の、そして言葉の未来の仕事にもどるのみです。