超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

昨日のこと

 ひとりごとに近いです('ω')

 

 ここ1,2年、はじめましての方と出会うことが多い。必然、自己紹介からはじめることになります。今日は特にまた金融機関の担当者さまであったので、事業の説明をこちらがする、などもありました。

 通告された結果と、これから先の収益としての見通しの立たなさはたしかに厳しいものですが、その反面、「個人的にこの事業はとても好きで、なんとかしたい気持ちがあります」とまで言っていただけたことは望外にうれしく、世瞬舎の目指す場所に共感いただけたことが自信にもつながりました。

 

 

 いつでも「これから」という気持ちがあります。はたから見るともう詰んでるとしか言いようのない状況なのかもしれませんが、数字やロジックで表せない部分で、ここからもっと未来が広がっている、その実感があるのです。

 それは今まで出せた本であったり、人との出会いであったり、ここまでのさまざまな学びや軌道修正、導き出せた「今よりももっと、本と読書が身近な社会へ」という意志であったりを綜合した、自分の中でのたしかな実感です。

 

 バイトも最近はじめています。こちらもたくさん社会との接点としての学びがあります。きちんと接してもらえるとき、ぞんざいに扱われるとき、どちらも同じく学びになります。

 そのわずかな収入もすぐさま生活に消えていく中で、やっぱり私も人の子なので、ボロボロになったスニーカーさえ履き替えるお金がないみじめさなどでヒステリー気味になるときもあります。

 

 それを表に出すのは非常に見苦しいことかもなとは思っていたので、ほんとうに親しい人にかぎって心情を吐露するにとどめ、ここやSNSでの発信は控えていました。その結果、だいたいにおいてネガティブな状況でだいたいなにも発信できないということになっていたのがここ最近(ここ1~2年?)です。

 

 

 今日も客観的には同じような、本当にずっとお金に苦しめられている状況ではあるのですが、なぜかどこか気持ちは落ち着いています。それはおそらく、先の方に「僕はこの事業が好きです」と言っていただけたことが大きいかもしれません。

 どうにかしなければならないのは目の前の金銭的な課題だけなのだ、と理解できたからかもしれません。いや、もちろんそれがものすごく大事な喫緊の課題なのですが。

 

 受け手の存在を感じて適度にチューニングするというか、もっともっと、より伝えやすくする工夫と、気持ちの持ちようが必要なのだろうと考えています。

 お金がついてくるとすれば、それがうまく回ったときですね。

 

 このように毎日たくさんの学びがあって、いつも充実して過ごせていて、今でも小説を書けている。そして、これで社会に貢献できる日が来ようとしている、その未来の予感があります。とても幸せなことです。

 作品が世に収まること、それがおそらくほかのどれにも優先されていて、そのどこまでも社会と乖離した部分を、いかに社会に接する境界へと置けるかが、今、この事業と私に問われていることだと理解しています。

 

 いつでも世瞬舎と私の距離感は、社会と私との距離感であって、調整弁のような役割になっています。もっとつづけていけばさらにわかることが増えていくはずで、なのでやはり、もうちょっとがんばっていきたいです。応援してくださるととてもうれしいですし、いつも励みになっています。

 

 

 ちょうどいいラインを狙えないのは、もうこれは自分に与えられた才能なのだとポジティブに捉えています。

 私はたまに「俺は天才だ」みたいに言うときがあり、あれもなかなかお見苦しいのかなとは思うのですが……自慢げに言っているわけではなくて、たまたま自分の「天から授けられた才」がそれだったからには、この世界に残せるものを残して、あまねく人とものごとに最大限、貢献したいという気持ちなんです。

 もっと平たくいえば、好きこそものの上手なれで、それをみんな大切にしたほうが楽しいと思う! ということです。

 

 

 でもまあ、あまりおおげさにならずに、

 

・周りの人を昔より大切にできている

・昔より自分にうそをつかないで生きている

・本をとどけることができている

・書きたい作品がある

・家族との時間が昔より(飛躍的に)増えている

・思索の時間が昔より(飛躍的に)増えている

・虫を観察するのが好きでたまらない

 

 などなど、いつもほんとうに幸せに生きれているので、それらをきちんと振り返りつつ、今私が周りの人に、近い場所から、返せる人に返していこうという、それだけでもあるのだろうと思っています。

 

 近くて、とおくて……と、いつもそんな思索の中で生きています。