超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

このごろのこと

 こんにちは。急に寒くなってきました。

 このごろは思うように仕事がはかどらず困っています。過眠傾向も、なぜかバイトが今月4日しか入ってない(月8日は必ず入ってくださいと言われてたのにそれは上限であって下限ではなかったようで、いいように使われてるのが悲しいです)のもあり、休める時間が増えて少し落ち着いてきたものの、エンジンのかけ方も忘れてしまったみたいです。

 

 本を読むことはできるのでよく読んでいます。最近は前田愛「近代読者の成立」という前から気になっていた本を読みました。出版の歴史的な話はだいたい活版印刷が主流になった明治からの文献しか見つけづらかったのですが、本書は木版印刷が主流であった江戸時代後期からの出版と読者の変遷を辿っており、おお、と思いながら楽しく読みました。

 

 今じゃっかん迷子というか、指針が定まらず困っているところでもあります。

 あれ? 会社としてどのようなマイルストーンを辿ろうと思ってたんだっけ? とちょっとなっていて、思索をまとめる時間や精神の余裕があればなぁとも思っています。

 たいてい正解が自分の中で無意識に存在していることが多いです。それを紐解いていく作業です。謎の発光する塊みたいな、オーラのようなものがあってそれに従って動けばいいはずなのに、その正体となると自分でも掴みきれていないので、人にも説明しづらく、勉強など人の尺度に当てはめる作業をしてはじめてちゃんと降りてくる感じです。

 なのでなにか変わることはなく、ただ有限のリソースを吸収しつつ進んでいけば必ずよい結果になるという確信はあるのですが(この楽天的なところが私の長所なのですが)、もう少し時間がかかります。

 出版の歴史や文学の歴史などを自由研究みたいにまとめていて、論文にもしたいのですが、そもそもそんなことやってる暇あるのか? といった常識人の声(それは自分でもあるのですが)が聞こえてきて、なかなかこの人の世は難しいなぁと感じます。

 

 ほとんどないエネルギーがよりにもよって内にこもっている感じはあって、外に出ていかない以上外部への成果として出力できないのですから、困りものです。

 ただ、どこか今が本来の自分に近い気もしていて、これが気持ちいいわけではなくむしろ嫌で早く楽になりたいのですが、ソフトに受け入れていきたいです。

 

 のんびりしすぎじゃないかなとも思うのですが、小説は少なくとも75才まで関わる算段を立てているので(遺作のスケジュールまで立てているので)、もしかすると人より長いスパンで物事を見ているだけなのかも? とも思います。

 

 2000年、という文字列を先日、YouTubeかなにかで目にしたのですが、むしろ2023年という文字列よりも未来感があって、一瞬未来のことと錯覚しました。それから23年も経ったことになります。今の社会をたとえるならば悪く笑えない冗談のようで、いちばん愉快じゃない世界線にいるのかもしれません。

 

 ずっと教室のすみっこがよかったです。世界がもっとちゃんとしていれば、私もはみ出し者としてずっとだれにも読まれない小説を書くだけで済んだのになぁ、とかふと思ったりもします。人畜無害な存在として透明になりたかったですが、役割を果たす、というまったく逆の行為にももちろん喜びはあり、ただ今のところどちらも煮え切らずなので、それが苦しいのでしょうか。どのみち現状としては、今でも教室のすみっこであることには変わりありません。

 

 もう数時間だけ休んでみます。