超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

スクランブル交差点のこと

 昨日は渋谷周辺にて『世瞬』内に掲載する写真撮影を行ってきました。おそらく15,000歩くらい(歩数計)と思われ、街で歩いている若者に声をかけて撮影をお願いしたりといったこともあり、挑戦的で楽しい一日でした。

 写真家さまは、フィルムカメラの写真がとても素晴らしい方です。本への扉をつくりたいというこのマガジンの意図するところを汲み取っていただき、街と人の景色をシャッターに収めていただきました。モデルさまはふだん、俳優活動をされているそうです。同様に、とてもいい表情・表現で写真に収まっていただきました。

 

 私は渋谷という場所が実はとても好きで、自作の舞台にしたこともあったり、当社の書籍『アイリダ』も渋谷を舞台にしていたりとなかなか縁を感じています。ベタですがスクランブル交差点が好きです。地方から東京に移り住んだ身としては、やはり東京の象徴といった感もあります。

 スクランブル交差点での撮影も行い、あらためてふだん行き過ぎるだけのこの場所をじっと眺めていました。たとえば信号待ちの、向かい側に待機しているたくさんの人や、交差点のちょうど中央ですれ違う人たちなど。あとよい場所としては、井の頭線と銀座線のホームの経由地のとこです。岡本太郎のでかい絵が飾ってあるところです。スクランブル交差点側が一面ガラス張りの連絡通路になっていて、高いところから全景を見下ろすことができます。

 

 そこにいるのはおびただしい数の人で、もちろん歩いているとき、自分たちもその一部です。仕事に向かう人、遊びに来た人、なにか約束がある人、いろんな人がいるはずで、そこには、もし私以外のあなたに意識といったものがあるのなら、一人にひとつの人生があります。私にとっては、スクランブル交差点はそれが可視化されている場所であり、なんというかとてもグロテスクで、とても美しいと感じます。

 

 

 私はこのごろよく、一冊の本には一人の人生、一冊の本にはひとつの世界、といった表現を多用します。書店や図書館の本棚にならぶ、数えきれないほどの本も、あるいは同じようです。そしてそれが「目に見えている」のもひとつ重要なポイントで、数えきれないけど数は決まっている、無限ではないのです。ここに、人間の認知能力の適正にぴたりとはまり、文明を形作る基礎となった本という知識体系の特色があるように思います。人は目に見える道があると安心します。交差点では、人は、どちらかいっぽうに必ず進むのです。

 

 

 

 

 

 

 

★お読みいただきありがとうございました。ちなみに今回の文芸マガジン『世瞬』発行に向けてのクラウドファンディング、本日23:59まで募集期間となっています。ぜひ覗いてみてください。支援いただけると、本誌をはじめさまざまなリターンをお贈りできます★

 

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