超時空の夜

作家/ちいさな出版社「世瞬舎」代表 

小説家とお金の問題

 

 歴史と現在

 今からだいたい7~8年くらい前でしょうか。「好きなことで生きていく」ブームみたいなのがキテました。Youtuberやブロガーといった新職種が注目を集め、それらは絶妙に「こんなんなら俺でもできるかも」的なラインを突いていました。第二新卒的な境遇であった当時の私も乗せられたうちの一人かもしれませんが、古来からこの手の話はありふれており、つまるところ、ゴールドラッシュで一番儲かったのはツルハシを売る人たちだったとの言葉が表すとおり、たいていの人は資本主義の一番おいしいとこを取りきれず撤退していくのです。

「生きていく=働いて金を得る」に直結してしまう思想は当時猛威をふるっていた新自由主義的な世界観とマッチポンプの関係を築き、その余波は今でもつづいています。

 

 今の私は「世界がどうやったらもっとよくなるかなぁ」みたいなことを平日の昼間から考えているちょっと変態的な人間になってしまいました。

 そこでいつも行き当たるのは金という存在です。世界中のさまざまな問題は金がなくなれば9割がた解決するのではとさえ思います。

 

 考えてもみてください。日本人はよく無宗教だと言われます。いわゆる宗教団体に入信している人以外にとって、比喩表現ではなく「この世(またはあの世)には神様が存在する」とは思っていない人が大半なのではないでしょうか。

 しかしまた。

 考えてもみてください。

 比喩表現ではなく「この世にはお金が存在する」ということは、おそらく99%の人が思っているはずです。そうでなければ私たちはコンビニでお菓子も買えません。

 

 この人類史上最大の詐欺ともいえる憎むべき金については、これはもう現時点において「僕だけは信じない」という態度をとることはできません。金は現時点において、社会的な生活を送るうえで必ず付き合っていかねばならないものです。よって私自身もなんらかの形で社会から対価を得て働かなければなりません。これが信仰・宗教といわずしてなんであるでしょう。

 

 もちろん、働く(というこれまた人類史上最大の詐欺)ことにおいて、なるべく楽をしたい、なるべく嫌な思いをしたくないというのはだれもが思うことでしょう。そこで私のような胡散臭い山師は「小説を書いて生きていきたい」などとうっかり吹聴してしまい、どうにかこうにか好きなことで、なるべく自分が楽で嫌な思いをしない方法で、生活を維持していきたい的な発想になります。ついでに富と名声も得れれば万事よしです。

 

 さて「小説家」という職業が成立したのはいつごろのことになるのでしょうか。なんにしても歴史を知ることが大事で、山師にそそのかされてツルハシを買っている場合ではありません。

 

 古来よりいわゆる物語は、人類が文明を持つ以前から存在していました。洞窟に描かれた壁画であったり、文字が成立する以前に口伝で伝えられた神話であったりをここでは指します。それらは単一の作者が書いたものでもなく、もっぱら伝言ゲームのように民から民へ伝えられてきた中で改変・編集がされてきたのだと考えられます。当然、著作権や印税といった概念はなく、王朝専属の書記で創作の書き物を担当していたとか、ほんのごくわずかな例外を除いて(そういった例外があったかも不明ですが)、小説を書いて生計を立てている的な人間は皆無だったといえるでしょう。

 

 それから長い時が経つうち、文明が興り、文字が発明され、人類は都市や国といった大規模な集団生活の中に生きるようになりました。書物は時代によって粘土板であったり巻物であったり、本であったりと形を変えてきましたが、共通して人々に言葉を伝える最良の装置であったでしょう。

 そこからさらに千数百年ほどが経った中世ヨーロッパにおいて、活版印刷技術が開発されました。1445年ごろのことです。書物はかつてないほどの大量複製が可能となり、この流通過程において著作権という概念が生まれ、単一の作者による創作の書き物、つまり小説といった形式も整備されてきました。

 

 一方、日本において出版の興隆は、それが学術的な書物ではなく、不特定多数の人々が娯楽のために読む読み物という解釈をとると、国内の戦乱がある程度収まり、平和な時代を迎えた江戸時代ごろまで待たねばならなかった、という説が主流のようです。

 江戸を中心とした庶民の読み物文化は勧善懲悪・人情ものなど通俗的な内容が主でした。絵入りの娯楽本は草双紙と呼ばれ親しまれました。

 Wikiを見るとこの時代の代表的な作家の一人、南総里見八犬伝で有名な曲亭馬琴は大家的な事業も兼業していたようです。江戸時代の出版事情は現代ほど出版社・取次・書店といった整備がされておらず、ざっくり一括で地本問屋的な感じだったようです。作家の立場としても、今よりももっと水もの商売の感はあったでしょう。

 

 その後の明治時代には国内でもようやく活版印刷が主流となり、庶民の識字率向上、新聞や雑誌など新たな読み物の形態、西洋思想に強く影響を受けた近代文学の登場などの動きがありました。出版流通システムも飛躍的に整備されていきました。

 明治期の代表的な作家、夏目漱石は英語教師だったことも知られていますが、のちに朝日新聞社に入社し、厳然たる職業作家となりました。私が確認する限り、漱石が「小説家」として生計を立てている人、つまり専業作家となった最初の人的に扱ってもいいように思います。

 

 大正・昭和と時代が進み、さまざまな作家が旺盛に小説作品を書き下ろし、近代文学の礎が築かれていたころ、改造社という出版社から「現代日本文学全集」という本が刊行されます。全63巻、1冊1円という低価格で古今の名作文学作品を収録した全集ものの開祖でした。大正末期から昭和初期にかけてこれらの円本ブームが起き、出版流通体制の整備とともにすさまじい供給能力、そして庶民の需要を呼び込みました。この全集に名を連ねた執筆者たちはその莫大な印税の恩恵を受けたと言われています。

 出版史的にみれば、大方においてこの「円本」周辺から出版の産業化が進み、ほとんど現在に至るまでこのシステム、つまり大量生産・大量販売による薄利多売路線は変わっていないとみられています。

 そして戦後以降もベストセラー本は次々生まれ、その時々で莫大な印税を受け取った執筆者たちはいたでしょう。専業作家という存在はこの辺りにおいて「どうやら世間にはいるらしい」といった認識となったのかもしれません。

 

 このインターネット時代においてはいろんな情報が可視化され、専業作家となれる人はいまだにごくわずかであり、しかもそのなれ方みたいなのもいろんな大人つまり私のような胡散臭い山師たちによる恣意的な決定がなされる世界だというのも把握されてきました。偉そうな肩書きをプロフィールに載せてすごそうななにかを言えば騙される人もぼちぼちいるといった地獄の様相を呈しています。落ち着いてみてほしいのですが、作家などなんの資格もいらないただの素人です。編集者などその辺のサラリーマンです。娯楽が多様化し、スマホが大衆を制御する麻薬として機能している現在、商品としての小説をつくることになんの意味があるのでしょう。

 

 しかしやはり依然として専業作家は魅力に満ちています。ロマンがあります。なぜなら好きなことだけで生計を立てられるからです。

 社会の些事は本当に醜悪で、できることなら自著はさっさとベストセラーになってほしいです。でも翻って考えると、先に書いた通り金は人類史上最大の詐欺なのです。なぜ詐欺に付き合わねばならないのでしょうか。

 

 

 処方箋

 このような変遷の認識と自分自身の活動の中で、どうにかうまく身を処していく方法をいつも考えています。私自身の最大の課題、大いなる些事として「どうやって生計を立てるか」が屹立しています。それを解決できているわけではないので、成功者の言葉的な脳死ありがたさはないのかもしれませんが、小説と小説家という所作に対して、だれよりも真摯に向き合ってきた自負はあります。その辺で説得力を持ってもらえると、いろんな人が気持ちよく騙されてもらえるのかなとも思います。

 

 ひとつには単純に賃金労働をすることです。もうひとつは国のお世話になるか(もう半分なっているが)。そして最大の課題は、がんばって生きているということを見せなくてはならないことなのですが、どーしてもそれが苦手です。

 私はたぶん「実際話したらおもしろい人だった」みたいな感じだと思うのですが、このインターネット社会において「実際会ってみたら」「実際話してみたら」といった状況よりも、公的に全世界に対しての言葉で、でなければ支持されないのです。

 公の言葉を手に入れたい、という思いは以前にも書きました。そのために今も勉強している最中です。ブログはその練習でもあります。

 

 

 抱負

 今後は更新頻度をもう少し高めていきたいです。考えていること、挑戦してみたこと、やりたいと思っていること、幸せを感じること、さまざまな事柄はあるはずなのに伝えきれなかったのですよね。

 でも私が言いたいのは、それは不自然なることなのだということです。公の言葉が苦手な人は案外たくさんいて、それで勝手に世間から判定を受けることがなにより嫌いです。

 人間などみんなおもしろいのです。そこに相対評価をつけて金として返還されていくこの社会がまじキモスというのは大前提としてありながら、そしてそのような社会を漸進的に変えていきたいと思いながら、今は乗っかっていくのがたぶん得策なのです。だって家賃払えないんだもの。

 

 すなわち私は、ただ私だけのためにブログをがんばってみて、創作の話とか出版の話とか、自分が学んできた自分にとって有益だったことなどを変態的な解釈で解説したりもできたらおもしろいのかなとか思っています。

 進行中の作品の制作状況などもお伝えできるとなおいいはずです。

 出版物にとどまらない活動や事業の構想もあって、これは私が出版=本を編集して販売すること という一般的な認識より広い視野を勉強の結果持てたことにもよるのですが、そのあたりなども。

 とにかく気軽に書いていきたいな~という宣言に近いです。

 

 ゆっくりがんばっていきますので、よろしくお願いします。

 私は人が好きです。だから人と人に相対的価値を見いだして境界線を設け、金に変換する商品をつくるのではなく、すべての人間は美しいという真なる小説を書きたいです。

 以上、些事についてのとりとめのない話でした。

 

 

 

【神谷京介にコーヒーをおごってみよう】

ko-fi.com

 ko-fiという投げ銭サービスです。PayPalがあれば利用可能だと思われます。いただいたサポートはとりあえず名のとおりコーヒー☕一杯分ほどの休憩をさせてもらうために使いたいです。ドル表記ですが日本円換算で普通に支払えます。

 

 もっと巨大なお金はちゃんとお金を持っているところからもらおうと、また不穏な計画を立てていますがそれはそれで別途進めていきます。ko-fiで生計を立てようなどと考えてはいません。気軽なチップ文化が日本にも広まればいいかなという願望も込めて、いつもどおり、隣を気にせずとりあえずやってみるの精神で。

 

 いつもどおりしっちゃかめっちゃかな書き物でしたが。

 大好きなみなさまへ、どうぞこれからも気をつけて。